総 論
悪性胸膜中皮腫診療ガイドライン2020年版を利用するにあたり
解 説

 悪性中皮腫は,胸膜,腹膜,心膜,精巣鞘膜に発生する悪性腫瘍であり,胸膜が80〜85%,腹膜が10〜15%,その他の部位での発生は1%以下とされる。

 発症原因として,欧米男性の78〜88%,女性では23〜65%の悪性中皮腫症例においてアスベスト(石綿)曝露との関連性を指摘されているように1)2),アスベストは主因の1つとして考えられるが,明らかなアスベスト曝露がなくても発症している報告もある3)。一方,長期のアスベスト曝露歴をもった労働者では,悪性中皮腫が発症する頻度は約5%である。国外の検討では,主にクロシドライト曝露歴が明らかな約22,000人の40年以上の追跡調査により約3%に胸膜中皮腫が,0.7%に腹膜中皮腫が発症したと報告されている4)。本邦では1980年代半ばまでアスベストの輸入が行われていた。アスベストとしてクリソタイル(白石綿),アモサイト(茶石綿),そしてクロシドライト(青石綿)が主として利用されたが,これらを用いた製品の製造や処理等に関わった労働者や,労働者の家族,および工場の周辺住民における中皮腫の発症リスクの上昇が報告されている5)6)。アスベスト曝露開始から発症までの潜伏期間が25〜50年とされていることから,本邦における今後の悪性中皮腫の発生ピークは2030年頃で,罹患者数は年間3,000人に及ぶと予測されている。また悪性中皮腫による死亡者数も1997年の597人から,2002年810人,2007年1,068人,2012年1,400人,2017年1,555人と確実に増加の一途をたどっている7)

 悪性中皮腫発生において遺伝的因子の関与も最近明らかになってきた。高リスクの遺伝的因子として,生殖細胞系列(germline)における腫瘍抑制遺伝子の変異がある。BAP1遺伝子の生殖細胞系列の変異は遺伝性腫瘍の原因であり,BAP1 tumor predisposition syndrome(BAP1-TPDS:BAP1腫瘍素因症候群)と呼ばれている8)。保因者には,悪性中皮腫の他に,ブドウ膜メラノーマ,腎癌,皮膚メラノーマなどが好発する。国際的には,欧米とオーストラリアの症例を中心に2017年12月までの発表論文を含めてBAP1-TPDSとして181家系と140個の異なるバリアント(DNA塩基配列の違い)が報告されている8)。BAP1遺伝子以外の生殖細胞系列変異としては,頻度は低いがBRCA2遺伝子,CHEK2遺伝子などの遺伝子変異も報告されている。

 悪性胸膜中皮腫は,初期は無症状であるが,胸水の増加に伴い胸部圧迫感や労作時呼吸困難が出現する9)。胸壁に浸潤が始まると胸痛,背部痛を自覚するようになる。疼痛は病期の進行につれて高度になる。中皮腫細胞は胸腔穿刺路や手術創に沿って播種病変を形成することがある。病気が進行すると,体重減少,食欲不振,発熱,寝汗,貧血,血小板増多症,低アルブミン血症などを呈することがある。

 悪性中皮腫の診断に際しては画像診断のみならず,病期診断にも苦慮することが実地臨床では多い。具体的には,低侵襲的な画像検査(胸・腹部CT,胸・腹部MRI,PET/CT,超音波)の後に,主治医が判断した場合には侵襲的な生体検査(EBUS,VATS,縦隔鏡,腹腔鏡)も必要となることがある。また確定診断や病理診断においては,悪性胸膜中皮腫は反応性中皮過形成,線維性胸膜炎,肺腺癌,肺肉腫様癌,滑膜肉腫などとの鑑別が重要であるが,時に鑑別診断が困難な場合もある。本ガイドラインの「画像診断,確定診断,病理診断,病期診断」で取り上げたClinical Question(CQ)が,実地臨床の場でその診断の参考になれば幸いである。

 悪性胸膜中皮腫の治療は,WHO分類による組織分類(表1)とUICC-TNM分類による病期分類(表23)を総合的に評価して決定される。一般に,切除可能症例には外科治療が,切除不可能症例や術後再発症例には薬物治療が,それぞれ治療の主体となる。一方,放射線治療は外科治療や薬物治療と組み合わせた集学的治療の一環として施行される場合が多く,その他に疼痛コントロール目的の緩和治療として施行される場合もある。本ガイドラインでは,「外科治療,放射線治療,内科治療,および緩和治療」について実地臨床で役立つCQをそれぞれ念頭において設定したので,ぜひとも参考にしていただきたい。注目なのは,悪性胸膜中皮腫診療ガイドライン2018年版で初めて掲載された免疫チェックポイント阻害薬が,今回は薬物治療の二次治療における1つのオプションとして掲載されているところである。今後のエビデンスの増加が期待される。

 全国がん(成人病)センター協議会の生存率共同調査(2020年3月集計)による病期別5年生存率は,Ⅰ期15.8%(n=57),Ⅱ期0.0%(n=37),Ⅲ期10.2%(n=60),Ⅳ期2.1%(n=96)といずれも予後不良であることが報告されている10)。このような現況にあって,本来であれば悪性胸膜中皮腫に対する集学的治療をベースとしたランダム化比較試験に基づくエビデンスの構築が期待されるところであるが,本疾患の絶対数が少ないことからそれが困難となっている。また,診断のエビデンスについても同様であり,診断・治療ともにエビデンスに乏しい疾患といえる。それゆえ,本ガイドラインではエビデンスの強さよりも推奨度の決定が極めて重要であり,胸膜中皮腫小委員会(ガイドライン作成班)の投票結果を是非とも参考にしていただきたいと思う次第である。

 最後に,胸膜中皮腫の確定診断を受けた患者には,労災保険制度や石綿健康被害救済制度などの社会保障の申請が可能であることから11),その旨を患者に伝えて1人でも多くの患者救済に繫がることを期待する。

参考文献
1)
Yates DH, Corrin B, Stidolph PN, Browne K. Malignant mesothelioma in south east England:clinicopathological experience of 272 cases[published correction appears in Thorax 1997 Nov;52(11):1018]. Thorax. 1997;52(6):507-12.
2)
Attanoos RL, Churg A, Galateau-Salle F, Gibbs AR, Roggli VL. Malignant Mesothelioma and Its Non-Asbestos Causes. Arch Pathol Lab Med. 2018;142(6):753-60.
3)
Peterson JT Jr, Greenberg SD, Buffler PA. Non-asbestos-related malignant mesothelioma. A review. Cancer. 1984;54(5):951-60.
4)
Reid A, de Klerk NH, Magnani C, et al. Mesothelioma risk after 40 years since first exposure to asbestos:a pooled analysis. Thorax. 2014;69(9):843-50.
5)
Kurumatani N, Kumagai S. Mapping the risk of mesothelioma due to neighborhood asbestos exposure. Am J Respir Crit Care Med. 2008;178(6):624-9.
6)
Zha L, Kitamura Y, Kitamura T, et al. Population-based cohort study on health effects of asbestos exposure in Japan. Cancer Sci. 2019;110(3):1076-84.
7)
厚生労働省人口動態統計.都道府県(21大都市再掲)別にみた中皮腫による死亡数の年次推移(平成7年〜29年).
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/chuuhisyu17/dl/chuuhisyu.pdf
8)
Walpole S, Pritchard AL, Cebulla CM, et al. Comprehensive Study of the Clinical Phenotype of Germline BAP1 Variant-Carrying Families Worldwide. J Natl Cancer Inst. 2018;110(12):1328-41.
9)
Lee YC, Light RW, Musk AW. Management of malignant pleural mesothelioma:a critical review. Curr Opin Pulm Med. 2000;6(4):267-74.
10)
全がん協生存率調査.全国がん(成人病)センター協議会の生存率共同調査(2018年2月集計).
https://kapweb.chiba-cancer-registry.org
11)
厚生労働省.石綿健康被害救済法.
https://www.mhlw.go.jp/seisaku/06.html
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