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特定非営利活動法人 肺がん患者の会ワンステップ 理事長

長谷川 一男さん

肺がんと向き合って

突然の肺がん告知から患者会の立ち上げまで

まずは長谷川さんご自身のことをお聞かせいただけますか?

肺がんが見つかったのは、今から14年前のことでした。喫煙の経験はなく、働き盛りの39歳でしたが、最も進行したステージ4の肺腺がんだと診断されました。当時はまだ幼かった子供2人の父親として「育てる」という役目がありましたので、その状態が受け入れがたく、いくつもの医療機関を巡り、抗がん剤、放射線治療や手術など、その時々にできる治療を行ってきました。今、こうして生きてはいますが、相当なダメージを受けていたと思います。

当時の家族写真(40歳代)

その頃、お仕事は何をされていたのか伺えますか?

仕事はフリーのテレビディレクターとして精力的に働いていました。

どうしてテレビディレクターに?

中学の頃から「風の谷のナウシカ」「ディアハンター」など様々なジャンルの映画が好きでよく観ていました。高校では放送部、大学は日大芸術学部で映像を学び、自分の好きな映像作品を自由に作りたいと思いディレクターになりました。

好きなことを仕事にされたのですね。

『なるほど!ザ・ワールド』、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』などの制作を担当する番組制作会社で番組制作に関わる様々な仕事を学びました。その後フリーに転身し、「報道ステーション」の松岡修造さんのコーナー、格闘技番組の「SRS」などに関わりました。思い出深い仕事では、フジテレビ「サイエンスミステリー」で、カナダ・アルバータ州に住んでいるアシュリー・ヘギちゃんというハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群に関する番組に関わったことです。

ところで、大学時代には興味深い活動もされていたとか?

クラブ活動としては合気道を真剣にやっていましたが、同時にプロレスも大好きでプロレス同好会を自分自身で立ち上げていました。テレビ局の企画でしたが、プロレス団体へ道場破りもやりました。今思えば、学園祭でのオオトリを飾ったことは思い出深いですね(笑)。

大学時代(プロレス)

そのような行動力が「患者会ワンステップ」の設立に結びつきましたね。

患者会ワンステップを立ち上げたのは2015年です。自分の体調が少し落ち着き、今後の人生は何をしていこうかなと考えました。設立当初は大きな目標や野望といったものがあったわけではありませんが、病気になる前はマスコミ業界で働いていたので、情報提供をしたり、何かをわかりやすく人に伝えたりというところは、自分の得意分野だと思っています。そこで、それを活かして、がんの分野で何かできないかなと考えて患者会の設立に至りました。

最初に取り組んだことは何ですか?

一番初めに取り組んだのは、当時ちょうど注目を集めていた“がんゲノム医療”です。自分自身の遺伝子情報を知りどうするのか?を考えるために、LC SCRUM研究代表者である国立がん研究センター東病院の後藤 功一先生を取材し、記事にしました。
https://ameblo.jp/hbksakuemon/entry-12018479217.html

今思うと自分自身も罹患したばかりは知らないことばかりでしたが、きっと皆さんも同じだと思います。肺がんを経験した人にしかできない活動として、今、必要なものは何かを意識して取り組んでいます。

変化を感じる患者会発足から10年

厳しい治療を続けながらアドボカシー活動も続けていたのですね?

結果的には、肺がん患者の会ワンステップ、日本肺がん患者連絡会などを設立し、厚生労働省がん対策推進協議会委員も務めさせて頂き、最近ではアライアンス・フォー・ラング・キャンサーという一般社団法人も設立しました。

それだけ精力的に活動に取り組んだ動機はなんだったのでしょうか?

社会貢献や世のため人のために尽力しているいうのが美しいのですが、私は、まずはもがき苦しんでいる自分自身のためでした。自分のために取り組めば、自分と同じような環境の人にきっと役立つであろうという思いがありました。いろいろ活動を続けるうちに「患者会ワンステップ」では、同じ病を持つ方々のわかちあいの場となり、患者さんのリテラシーの向上にもつながりました。

闘病中の写真

ところで、つい最近まで米国の学会に参加されていたのですね?

はい。米国で開催されたSCT(Society for Clinical Trial)という学会から戻ってきたところです。日本の臨床試験学会にあたるものでしょうか。私は、患者発案型の医師主導治験KISEKI Trialについての発表を行ってきました。この試験は、タグリッソという薬が適応拡大された時に、患者からすると置いてきぼりになるような集団があり、この薬がなぜ使えないのかという声が患者からあがったことがきっかけです。これらの対象となる患者さんを対象に、タグリッソが使用できないか?使用できるようにするにはどうすればよいか?適応症追加できる臨床試験(治験)はできないか?などを、当時の近畿大学腫瘍内科教授の中川和彦先生に相談したところから始まりました。

この試験は、日本では初の患者提案型医師主導治療として、他領域からも注目を集めましたね。

そんな背景もあって、今回この学会に参加させて頂きました。既に、治験は終了し、論文にもなり、今は企業での申請作業中と聞いています。

まさに、これは今、声高に言われるPPI(Public and Patient Involvement)を実現されたものですね。

今回、ボストンで開催されたのですが、日本からの参加者も多く時代が変わったように思います。私たち肺がん患者の会ワンステップも発足10年を迎え、こういった形を残せたことは、嬉しく思い、また協力頂いた患者さんや医療者に感謝しています。

ボストンでの学会の様子はいかがでしたか?

皆さんもご存じの通り、今、物凄い円安なので普通のホテルでも1泊500ドル(日本円で7~8万円)、他全般的に物価が高いのには閉口しました。学会では、日本よりダイバーシティの話題が多く、人種差、歴史・文化的違いを臨床試験の切り口に検討されていました。また。やはり日本でも話題のDCT(Decentralized Clinical Trials:分散化臨床試験)の発表が多かったように思います。

SCT@BOSTON

患者会の躍進は医療者の努力の結果

具体的に今必要なものとはなんでしょうか?

命の限りを知り、それを大事にすること、それに立ち向かう勇気です。患者会はそれらを支えるというものであると思っています。実は、患者会ができて一番喜んでくれたのは、医師だったように思います。2015年までは患者会はほとんどなかった。予後が厳しすぎたのです。最初は3つくらいの患者会で、どれも一人患者会でした。しかし、今は、全国15を超え、こういった状況は、医師を含む医療者、肺癌学会の皆さんの努力の結果だと思うのです。

故 山岡 鉄也氏と

これからも不確実なものに立ち向かう

まだまだ長谷川さんにはやるべきことがあり、課題もあるかと思いますが、どんなことでしょうか?

ここでは、社会、医療、患者(家族)についてお話しします。
まずは、社会。現在、学校教育(小中高)では、保健体育でがんを学ぶことになっています。がんは死の病、がんになると働けない、こんな誤解や偏見を払拭することが課題。がん治療は長足な進歩を遂げていますが、がんに対するイメージは大きく変わっていない印象です。古いイメージを変えることにつながって欲しいです。

次に、医療について。課題は医療者との連携、協働をより大きな流れにしていくことです。冒頭でもお話しした通り、患者がおかれた環境からKISEKI Trialという患者提案型の医師主導治験が実現し成果をあげました。他にも、様々な薬剤や、治療法の早期承認、適応症追加などについても要望書を書いてきました。もともと、先生方がもっと声を上げてくれ、とおっしゃってくださって、そこに乗っかっているだけです(笑)。

最後に、患者(家族)についてです。治療法が進歩したとはいえ、肺がんはまだまだ難しい病気です。命には限りがあること、その上でどう生きていけばいいか?どうがんと向き合うか?まさに課題です。これに処するには信念とか価値観しかないと思います。主体的に生きること、自分自身ができることをやる、この繰り返しでしか成長はないように思います。不確実なものと向き合い、決めていくこと。これは大変に難しいことではありますが、勇気と情報が必要です。これを支えるのが患者会の存在意義でだと思っています。

患者、患者会は、肺がん医療を一緒に変える存在でいたい

最後にこの記事を読む皆様へのメッセージをお願いします。

日本肺がん患者連絡会と日本肺癌学会との連携は、2015年に遡ります。もうすぐ10年になりますね。肺がん患者や家族、一般の方に門戸を開いて頂き、患者が学会に参加しやすいようにトラベルグラント等の支援も頂いてきました。これらに感謝申し上げると共に、更なる連携をお願いしたいと思っています。

肺がん医療の進歩で、自分が生きていること、周りの患者がよくなっていること、命を延ばしてくれていることに感謝します。その結果をあたえてくれた医師を始めとする医療者、患者会に関わってくれた方々に心より感謝申し上げたいです。命を大切に使い、そして必ず皆さんに恩返ししたいと思っています。これからも、肺がん医療を一緒によりよくしていきたいと思っています。

肺癌学会事務所にて

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