コンテンツにスキップする

東北大学加齢医学研究所 呼吸器外科学分野 教授

岡田 克典 先生

新しい時代に向かって

市民公開講座は、患者さん、ご家族への情報発信の窓口

市民公開講座開催前のご多忙なところありがとうございます。本日は、福岡での市民公開講座ですね。(取材は、5月18日福岡で開催された肺がん市民公開講座開催前に行われました)。

2024年になり初めての市民公開講座となります。本会ではこの10年、全国各地で年に数回市民公開講座を開催してきました。この3-4年はコロナ禍もあり、リモート開催でしたが、昨年から規模を縮小した現地開催とウェブ配信のハイブリッド開催を始めました。そして、今年ようやく現地開催を主体に開催できる状況になってきました。本日も多くの患者さんやそのご家族など、多くの方にお申込みいただいているようでうれしい限りです。

日本肺癌学会の市民公開講座の特徴はなんでしょうか?

他の医療系の学会も市民公開講座を実施しているとは思いますが、多くは学術集会などに合わせて年に1回程度だと思います。一方、本会では全国各地で現地の肺がん医療に関わる医療者とともに、患者さんやそのご家族を対象に年に数回行っております。そして今年は、福岡、和歌山、兵庫、新潟の4か所で開催します。

内容に関してはどうでしょうか?

肺がんという病気、肺がんの治療、肺がんとの向き合い方など、肺がんを網羅的に学んでもらい、参加者の質問に答えるための質疑応答の時間も含め、全体で3時間にも及ぶものになっています。また、患者さんの視点に立った内容とするために、司会進行をご自身もがん体験者(悪性リンパ腫)であるフリーアナウンサーの笠井信輔氏にお願いしています。

質疑応答の患者さんの質問は専門的なものも多いですね。

近年の肺がん治療の進歩は著しく、また、それに伴い個別化も進んでいます。それだけに、患者さんやご家族、一般の方も非常によく勉強していて、一般的な情報だけでは不十分な印象です。広報委員会が担当する市民公開講座は、患者さんやご家族が知りたい情報の窓口になっていると思います。

市民公開講座の写真:向かって右が岡田、左は司会者の笠井氏

東北人らしい東北人?

ところで、岡田先生の生い立ちを教えて頂けますか?

私は1962年仙台市で生まれました。父親の転勤の関係で、小学校から中学校の一定期間は山形県に住んでいました。仙台第一高等学校を卒業後、東北大学に入学し、ずっと東北で過ごしてきました。

どんな学生時代でしたか?

中学、高校、大学と、ずっと水泳部に所属していました。種目は自由形短距離と個人メドレーでした。100m自由形は、1分3秒台の記録でした。

100m自由形の1分3秒台は、簡単に出せる記録ではないかと思いますが、練習は大変だったでしょうね。

今の人たちは簡単に1分を切るので大した記録ではないですが、当時は、温水プールも今のようには利用できませんでしたので、夏だけ泳いで、冬はランニングや筋トレといった活動でした。部活以外にも冬はスキーもやっていました。

水泳やスキー以外、趣味はありましたか?

当時も今も、趣味らしい趣味はないのですが、強いて言えば読書でしょうか。特に時代小説が好きです。ドラマにもなった藤沢 周平さんによる江戸時代の一人の武士の成長を描いた「蝉しぐれ」が、お気に入りの小説です。フィクションではありますが、その時々の時代背景を織り交ぜ、人間の心の機微が描かれているところが好きです。藤沢周平さんは、山形県のご出身です。他にも、池波 正太郎さんや、山本 周五郎さんといった作家や彼らの小説をよく読みます。今日も、仙台から福岡の移動中、池波 正太郎さんの「真田太平記」を読んでいました。

歴史ものがお好きなのですね。

最近では秦の始皇帝の天下統一を描いた「キングダム」がTVアニメでも人気ですね。吉川 英二さんの「三国志」など、中国の歴史小説も好きです。

そんな岡田先生を言葉で表すとすれば?

医師の同僚や、我々の世代ではゴルフや釣りを趣味としている方も多いと思いますが、私の場合は、学生時代も個人競技の水泳をずっとしていて、趣味も読書やウォーキングと、本来は内省的な性格なのだと思います。東北人以外の方が思い浮かべる「東北人らしい東北人」かもしれません。

大学を卒業する頃の写真:向かって左が岡田、右は弟

医師になったのは自身の体験から

医師になった特別な背景はあったのでしょうか?

小学校低学年の頃、周期的に数日間の嘔吐を繰り返す「周期性嘔吐症」をよく発症しました。そんなこともありクリニックにはよく通っていて、私を診てくれた医師に憧れて、医師、特に小児科医になりたいなと思っていました。医学部に入ったのはそんな背景があったからかもしれません。

なぜ、呼吸器外科医になられたのですか?

呼吸器外科を専門としたのは学生時代の研修や先輩医師の影響が大きいです。先代の近藤 丘教授は、水泳部の先輩にあたり、学生の頃から面倒をみていただきました。泌尿器科と呼吸器外科のどちらを選択するか迷ったのですが、肺という臓器は本当に複雑で、また、当時は、肺癌は不治の病という感じでしたので、そんなことへの挑戦という意味もあり呼吸器外科を選択しました。

今は、東北大学で呼吸器外科を主宰されていますが、どのようなお仕事でしょうか?

大学医学部の仕事には、教育、研究、そして診療という大きな柱があります。呼吸器外科の診療においては肺がんの手術がメインとなります。近年では、大部分の手術で、完全胸腔鏡下手術や、ロボット支援下手術を行っています。

東北大学といえば「肺移植」を実施される施設としても有名ですね。

そうですね。全国で11ある肺移植実施施設の1つで、東北・北海道においては唯一の肺移植施設となっており、日本で初めて脳死肺移植に成功した施設です。日本では、2000年に初めて脳死肺移植が行われたのですが、それ以降、私たちの施設では脳死肺移植、生体肺移植合わせ180人以上の患者さんに肺移植を行ってきました。移植後の成績は国際登録の成績を大きく上回り、これは私たちの誇りであると共に、このような形で患者さんに貢献できることを幸せなことだと思っています。

小学校中学年の頃の写真

新しい時代、若い人達による医療に期待

テクノロジーの進歩により、ここ数年で色々な変化をもたらしたと思います。現在、また、これからの医療に影響はありますか?

まさにご指摘の通りで、肺がんの手術に関して言えば、その方法も胸腔鏡下手術やロボット支援下手術に変わってきました。肺移植後も急性期・慢性期のマネジメントの進歩により安定した医療になりつつあります。ただ一方で、肺がんは未だに日本人のがんで死亡率1位の疾患であり、肺移植に関しても年間実施数は日本全国で100例程度と、まだまだ移植を待つ患者さんが多い状況です。

そのような状況で、医師の働き方改革も令和6年(2024年)4月から施行されました。診療科を主宰する立場として、診療科の体制を維持することは難しいのではないでしょうか?

実は、最近の中堅医師、若手医師を見ていると、難しい面ばかりではないと思っています。皆本当によく働いており、特に私が感心するのは、働く時は働く、休む時は休むなど、めりはりをつけて仕事に臨んでくれています。

新しい時代ですね。

肺がんの診療で言えば、ある程度進行した癌に対しては手術だけで完結するのではなく、術前、術後に薬物療法などが行われることが増え、内科、放射線科、病理との連携も必須となっています。また、医師、看護師、薬剤師、メディカルソーシャルワーカーなど、それぞれがリソースを最大化にするには、お互いが協力し、連携する必要性があります。今の中堅医師、若手医師たちは、それがわかっている人が多いと感じます。

岡田先生の若い時はいかがでしたか?

肺移植の基礎研究を行うとともに、1994年から1997年までロサンゼルスに留学し、肺移植手術、その術後管理を学びました。ご存じのように、肺移植には、ドナー(臓器提供者)、レシピエント(臓器受容者)がおられ、脳死移植の場合には別々の病院でほぼ同時に手術を開始しなければなりません。肺移植手術自体が高難度であることに加え、多くの医療者が綿密な連携のものに手術を進めなければなりませんので、診療は非常に複雑です。また、臓器提供があった時点ですぐに動き出さなければなりませんので、突然の呼び出しに備えて1年中、心が休まる時がなかった時期もあったと思います。しかし、この医療は、本来、属人的なものではなくチームで診療にあたるべきものです。現在は、移植医療に精通した外科医、内科医、メディカルスタッフも充実しており、本来望ましい肺移植医療ができるようになっていると自負しています。

これからの医療、肺がん医療を担う若い方へのメッセージはありますか?

是非、自分の時間を大切にしてほしいと思います。家族や友人との時間も大切にしてほしいです。とは言え、医療、医学の研究は国際的な競争の場であり、患者さんに研究の成果を還元するためにも、新しい事にもチャレンジしていって欲しいと思います。前述の通り、今の中堅〜若手の人たちは、仕事とプライベートの時間をそれぞれうまく調節するのが、私たちの世代よりも上手だと感じます。医療従事者も身体が資本ですので、身体を大切にしながら、目の前の患者さんのため、そして世界の医学の進歩のために頑張っていただきたいと思っています。

本日はインタビューご協力ありがとうございました。

こちらこそ、有難うございました。日本肺癌学会のホームページも、新しい時代に向かって、今回リニューアルしました。非常に見やすいものとなっていますので、是非ご活用ください。リニューアルにあたっては多くの皆様にご尽力いただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

教室の仲間とともに

その他のインタビュー